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青祓テーマ考察③~人生の意義~ 

青祓テーマ考察③。ファウストをヒントに、テーマ考察。
奥村燐が目指すのが奥村燐であること、そして大勢の人間のように中道ゆえ病みやすく無為を欲してしまう人間ルートでなく、精神的に充足した第三の道を進んでいることを踏まえて人生の意義について。
単行本7巻収録予定の26話「こころのひ」からの台詞引用は雑誌ネタバレにつき、白黒反転で引用。

◆人生の意義について

メフィストの台詞の元ネタとなっているゲーテの『ファウスト』においてこのような部分が見られます。
「日々に自由と生活を闘い取らねばならない者こそ、自由と生活を享くるに値する」ことを叡智の最高の結論として、そういった人間のあり様に自身の精神を捧げることに充足し、
「とまれ、お前はいかにも美しい」と叫んでしまうのである。

己はそういう人の群を見たい、
己は自由な土地の上に、自由な民とともに生きたい。
そういう瞬間に向かって、己は呼びかけたい、
「とまれ、お前はいかにも美しい」と。
己の地上の生活の痕跡は、幾世を経ても滅びるということがないだろう―――
そういう無上の幸福を想像して、
今、俺はこの最高の刹那を味わうのだ。


(『ファウスト』第二部 第五幕 宮廷の大きな前庭 451-452頁、11573-11586行)

メフィストーフェレスは最後の分の悪い中身のない瞬間を哀れにも引留めようと願ったと思うのですが、主から見れば、人生に意義を見出そうとしたあげく結局何もしないことを選びがちなその他大勢の人間と同じ道を辿らず、一人ひとりが各々の生活・人生を送っていくその精神に身を捧げることに己の人生の意義を見出し精神的な充足を得たファウストの魂を天国に召し上げるのである。

それは独善的な快楽ではなく、一瞬一瞬の積み重ねにきらめきを見出し他者愛の境地ともいえるかもしれない。


青祓においても、死後に残り続けるほどの人生の意義とは何か、が深く関わっています。


◆燐の抱える虚しさ

人生に意義を見出そうとするもうまくいかず、結局何もできなくなるのが人間の性質ですが、これは燐にも見られます。

1巻1話「嗤う青焔魔」冒頭のカラー。
当初は中学校を卒業して職業安定所に通いつつ職を探していた燐。燐は不良とケンカした後、空を見上げて「…何やってんだ俺…」とぼやく。

この時点の燐は、今みたいに仲間がいるわけでもなければ、明確な目標もなく、自分自身と外界の間に溝を感じつつただ生きているだけのようなものなんですね。
こういう疑念は読者にとっても共感を得やすいと思う。
実際今の私もそういう状況だしね…
この時点から、時として襲いかかってくる虚しさとの終わることなき戦い、としての青祓のテーマがかいま見えます。

1話と言わず、うまく行かずに心が折れそうになるときは度たびやってきているし、今後もくると思われます。


3巻11話「愉しいキャンプ」。
「サタンの子を騎士團の武器として飼い馴らす…!」
「十六年前の”青い夜”以降―― 藤本獅郎と日本支部長メフィスト・フェレスが共謀し――」
「『即時排除を容認する』…師匠の不始末を弟子が片付けるってワケだ」

シュラに殺されかけた時のこと。メフィストが燐を生かしたのには利用価値を見出したからであること、青い夜以来藤本が自分を生かし守ろうとしてくれる意図の謎、自分は生きることを望まれない存在であることを自覚し眠れなくなる燐。
そこでもやはり生きる意味への疑問や揺らぎが見える。


それが最も色濃く表れたのが7巻収録予定の26話「こころのひ」。
雑誌ネタバレにつき反転。


7巻26話「こころのひ」。
↓雑誌ネタバレにつき白黒反転。

助けられた事がムダにならないようにって…ずっと思ってた。
でも、本当は俺は死ぬべきなんじゃないのか…?
何の役にも立てないまま死ぬのか…。
結局みんなと仲直りもできないで…
俺は何の為に助けられたんだ…

「…親父どうして俺を… 教えてくれ…!」


今まで何度か出てくる、燐の抱える虚しさ、生きる意義への疑問が最も明確に表れる回。
炎をコントロールしようとしても

しかし、しえみに励まされることによって自信を回復し、俺はこれからの行動で示すしかない!!と言うのです。


ここまで引用。
『ファウスト』で主が言う、中道ゆえに病みやすく、無為を欲したがるという人間の性質に関して言えば燐も例外ではない。


次は雪男。


◆雪男の抱える虚しさ

5巻16話「事の始まり」で雪男は藤堂に下のように言われる。

「気づけば生まれた時から運命のレールの上を走らされ 長年の疑問も口にする事もできず 犬のように組織の…一族のために働いてきた
父のように 兄のようになりたかった
…だがそうやって生きてきた私に残ったものは何だ
…無だよ

だから私はこの気持ちを認めてしまうことにしたんだ
父を…兄を…組織を…
…この世界全てを憎んでいるという事を…!」

「そしたらどうだ 一旦認めてしまえばこんなにも素晴らしい 私に欠けていたピースが埋まったかのようだ」


半ば藤堂自身のことなのか、それとも雪男のことなのかはっきりしないこの台詞も、やはりここで挙げられるのは中道ゆえに病みやすい人間の性質、もがきあがいた末の虚しさです。
そして、病みやすい人間に対し悪魔はそういった一切を否定する故に自由で迷いもなく力強い存在であることが提示されています。
藤堂というキャラクターも、性質が異なる悪魔と人間という二つの存在において、虚無に襲われて極限に陥った人間が今度は自らが悪魔になる、という悪魔落ちであり、青祓独自の 設定として魅力的です。
たとえ人間ルートを選択するとしても、険しく達成しがたく、常に悪魔ルートに転じうる。
その点に関しては燐も雪男も危うい部分があります。


燐も雪男も人間であるゆえに、時として「自分は何をやっているんだろう これまでのことは無駄だったのではないか」と思ってしまうことが多いし、特に境遇ゆえそういう部分は並みの人間以上にハードなものといえる。


しかし、燐も雪男も目指し進むのはあくまでも精神的に充足した第三の道です。

燐が事態を悪化させてしまったサトルの治療で雪男は処置するも、手の震えがおさまらない。
けれども、「僕はお前とは違う!!!!」と、自分の腕に針を刺しサトルへの処置を終える。


「雪男!!ぜってーお前を追い抜いてやるからな!!よく見とけ!!!」
と言う燐に驚いた表情を見せほほ笑む雪男。
…そう 僕は僕だ


雪男からすれば父・藤本や兄・燐は憧れの存在で、一種のコンプレックスのようなものを持っている。
しかしこの回で、雪男が燐に対して抱いているように、燐も雪男に対して自分にはないものを持っている、憧れを持っている、追い抜く対象・ライバルと見なしていることに気づくのです。
医工騎士、竜騎士として藤本から受け継いだ腕は雪男の武器であり、雪男にしかできないことである。
奥村雪男として、自分にできることをやろうと決めたのです。


このあくまでも自分は自分で、自分の道を以降とする姿勢は兄弟揃って共通しています。


今度は藤本について。


◆藤本の人生

15年前の「青い夜」のあの日、メフィストと共謀した藤本獅郎。
何故彼は惨劇の中で生まれた奥村兄弟を生かし育てると決めたのか。


青の祓魔師第10話「証明」p. 124-134

ヴァチカンから派遣された監察官として燐を抹殺しようとするシュラ。
「アンタは……まともに何かを育てられる人間じゃない
自分で知ってるはずだ!」
「本当は何をやろうとしてるんだ…?教えてくれ!」
「…武器をつくりてぇんだよ


反芻するメフィストの言葉。
「…サタンの子を騎士團の武器として育て飼い慣らす…!」
アンタが命を賭してやりたかった事はこれなのか
こんなもののために死んだっていうのか…!!
獅郎!!!!

「獅郎(アンタ)は……
もうろくの末に
サタンの炎を武器と盲信して戦いから逃げた
正十字の歴史上最も臆病で…最低の聖騎士だ!!!!!」

燐にとどめを刺そうとするシュラ。
素手で剣を止める燐。
「ちげぇ」
「親父は俺を守って死んだんだ!
臆病者じゃねぇ!!!」
「…臆病者だよ」
「…俺が証明する!!」
「…… どうやって?」
「パ…聖騎士になる…!
俺が最強の祓魔師になれば
親父が俺を生かしてたのは正しいってことだろ」

笑いだすシュラ。もはや殺意はない。笑いながらこう思う。

獅郎
…アンタが育てたのは武器なんかじゃない
「…お前獅郎が好きか?」
「は!?そ…そーゆーんじゃねぇ!!」
息子だよ


剣は一時的に預かると言うシュラ。
「そして 証明してみせろ!!
…獅郎が正しかったことを」



ここで提示されるのは、人生の意義の証明
何かを為した、という成果は形として証明される必要がある。
ファウストも、己の地上の生活の痕跡は、幾世を経ても滅びるということがないだろうと言う通り、後のちにも残り続けるようなものが。
それこそが長い時間を生きながらも一瞬の快楽を求める悪魔とは異なる人間の、短い時間の中で大きなものを残す人間の違いともいえます。


燐と雪男と藤本の関係に当てはめると。


燐はメフィストに祓魔師になると宣言し、シュラやヴァチカンに対しても聖騎士を目指すと宣言する。
それは藤本が自分を生かしていたことが正しいことを証明したいから。
そうでないと藤本はサタンの武器と盲信した愚か者になってしまい、彼の人生が無為になってしまうから。

雪男は祓魔師として銃を取る。それは最期まで燐を守り続けて来た藤本の正当性を維持するため、父の遺志として兄を守りたいから。
そうでないと藤本はサタンの武器と盲信した愚か者になってしまい、彼の人生が無為になってしまうから。


このように、二人の行動原理は藤本の人生には意味があった、決して無為ではなかったのであることを証明したいという共通点があることが分かる。


燐からすれば、自分の行動がうまくいかないとそのまま藤本の評価に直結してしまうというプレッシャーに雪男以上に常に晒されている。

雪男からすれば、「燐を守る」ということが、殆ど存在意義のようになっている部分があるからすごく危ういな。メフィストの言うように肩に力を入れ過ぎるわけで。
それも最初は自分が強くなって兄を守れるように、という気持ちがあったのだろうが、今は「命の安全を守る」になってて無茶な行動をしないように制限をかける方向になってるし…ついでに燐に対して精神面のサポートをするような真似はしていない。これは燐から雪男に対しても同様。ただ、燐は他にも精神的に支えてくれる仲間がいるのに雪男は周りから優秀で大人と肩を並べられる、問題のない子供として捉えられているから孤独だよな。。。と。

個人の問題でなく、他人の人生の意義もかかわってくるのが青祓。


◆青の祓魔師のテーマ

3巻11話「愉しいキャンプ」
「何かの…誰かのために もっとやさしいことのために力を使え」
「もがけ!そうなろうともがいてりゃその内ふとふり返ったらいつの間にかそうなってるもんだよ」


1巻2巻「兄と弟」
「ただ俺は強くなりたい 俺の所為で誰かが死ぬのはもう嫌だ!!」
「…僕もただ強くなりたくて祓魔師になった」


奥村兄弟が求める人生の意味。誰かに守られてばかりではなく傷つけるのでもなく、自分が誰かを守れるくらいに強くなりたいという。

サタンの炎に頼らずとも既に燐の存在は他人にとってもプラスになっています。
後悔と自責の念の箱庭に囚われていたしえみ。
彼女が本当にやりたいことを思い出させ、そこから救い出した。
子どもの頃からサタンを倒すという野望を持ち周りから笑われてきた勝呂。
ためらいもなく勝呂と同じサタンを倒すという野望を語り、彼の心のしこりを取った燐。


人生に意義を見出そうとするもうまく行かず結局何もできないしない為せないという、大勢の人間ルートでなければ、
そういった人生の意義も世界のあらゆるものを否定することに快楽を見出す悪魔ルートでもなく、
常に誰かを守れるくらいに強くなりたいという信念に基づく奥村燐・奥村雪男個人の道を進み、それによって人生に意味を見出し精神的な高みを目指す。
たとえ行き詰って
も葛藤を抱え生き続け、心が折れそうになってももがき続けていく。



青の祓魔師はそういう物語だと思います。


++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
前の考察
青祓テーマ考察①~メフィストの台詞が意味するところ~
青祓テーマ考察②~奥村燐の選ぶ第三の道~

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