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青祓テーマ考察①~メフィストの台詞が意味するところ~ 

青の祓魔師テーマ考察

青の祓魔師はどんな漫画か?
一見学園ファンタジー、学園コメディかもしれない。
でもそれは表向きのオブラートであって、本質はダークファンタジーだと思う。
結構エグい要素が多いしね。。。
第1話を読んだ時からずっと「ベタだなぁ」「ちょっとぎこちないところもあるかも」と思い続けてます。ですが、今年5月に改めて読み返すと、ぎこちなさの部分は作者が新人だからでなく(以前にはロボとうさ吉を連載していたことがあったし)、非常に計算的に作っているからではないかと思うようになりました。この話ではこのテーマを見せるためのもの、としてエピソードありきで話を作るので、キャラクターの言動や行動はそれに付随する。その時々で齟齬や違和感が生じるのであって、基本は読者に示したいものをよく考えた上で話を作っていく、ストーリー重視の作品だと思うようになりました。
作者自身「売れる要素を追求した」とおっしゃったことがありますが、ベタで王道と言える部分も、後半過酷な描写をしても読者が離れない、
キャラクターがしょげて動いてくれなくなるようなことが起こらないようにする土台作りのためという意図があるかもしれないなぁと。

さて、今回は青の祓魔師という漫画のテーマは何か?について。


ゲーテの『ファウスト』に基づいてメフィストの台詞の意味を考える

まずこれについて考えさせられることになった原因であるレスがあったのでコピペ。

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◆【青の祓魔師4巻p. 96 第13話「やさしい事」のメフィスト・フェレスのセリフの元ネタ】

282 :作者の都合により名無しです:2011/05/09(月) 22:30:46.10 ID:6OwWHYoL0
メフィストの台詞で、燐に対して、

まずは己の欲求を知るべきだ
悪魔は常に否定する快楽の求道者であるのに対して、
人の営みは中道にして病みやすい
さて、どちらへ進もうか


っていうのがホント全然意味わかんないんだよなー
この台詞の意味がわかったら、メフィストの意図がわかりそうな気がする

ま、大筋としては、サタンが物質界を支配したら楽しくない
だから邪魔する→燐を武器に育てサタンに対抗する
ってことだとは思うんだけど


288 :作者の都合により名無しです:2011/05/10(火) 00:08:45.89 ID:NHxsDCWl0
>>282
長文我慢してねw
元ネタはゲーテの「ファウスト」

メフィスト「(ファウストに対して)私は常に否定する霊です。
それも道理に叶っておりましょう、なぜなら、生まれるということは、消え失せるということなのですからね。
だから、何も生まれてこない方がいいわけでしょう。
という次第で、あなた方が罪だの破壊だの、
要するに悪と呼んでおられるものは、みなわたしの領分内のことなのです。」

主「(メフィストに対し)いいとも、いいとも。またいつでも気楽にやってこい。
わたしはお前たち一族を憎んだことがない。
一切の否定する霊の中では、お前のようないたずら者がわたしには一番馭しやすい。
人間の営為は中道にして熄(や)みやすく、とかく無為を欲したがるものだ。・・・」


このあたりを踏まえてメフィストの言葉を解釈すると、
「まずは己の欲求を知るべきだ。
人間は生きること・何かを成すことを良しとし、またそれを欲するが、悪魔はそういったことを常に否定し
常に己の欲求に従って行動する。
一方人は常に何かを生み、何事かを成すことを欲するかと言えば決してそうではなく、
道半ばにして志を無くして、何もなさずに終わることを選びがちだ。さて、・・・」

という感じになるのではないかと思う。

ネイガウスみたいなのは絶対ほかにもいるし、騎士団自体なんだか胡散臭いし
うっかりすると何のために俺こんなことしてんのかな?ってなりそうだよね。

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※雉人補足:ゲーテ著、高橋義孝訳『ファウスト』新潮文庫、1967年より引用。
・メフィストーフェレスがファウストに自らを「否定する霊」と呼ぶくだりは
『ファウスト』第一部「書斎」95頁、1338-1343行。
むく犬の姿から遍歴書生の姿となったメフィストーフェレスとファウストの問答のシーン。
なお、その前に「常に悪を欲し、常に善をなす、あの力の一部分です。」とも答えている。
これに関しては人間が何かを生み創り出し、悪魔はそれを壊すという、世界の創造と破壊という神の営みにおいて、破壊や悪徳を領分とする悪魔の存在も間違いなくその一部分である、という意味と思われる。
・メフィストーフェレスに対する主の言葉は
『ファウスト』第一部「天上の序曲」30-31頁、336-341行。


ファウスト的に見れば、教え研究する日々に行き詰っていたファウストのところにメフィストーフェレスがやってきたことにより、堕落をもたらす快楽とは表裏一体の刺激的な世界の煌めきを感じるので、メフィストーフェレスの言う悪魔の快楽も完全に否定するものではないかのように書かれています。主はファウストは決して人間の正道を失うことはないだろうと確信しています。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

このレスを見てすとんと腑に落ちた気がしたもんです。
漫画本編でメフィストの「悪魔は常に否定する快楽の求道者」の解釈がよく分からなくて、ずっと悩まされていたのです。周りでもやはりこの台詞で「?」となった人が多いみたいでした。私は「倫理的には悪とされるような快楽を悪魔は求める」と解釈してたのですが、どちらかといえば「悪魔は否定することに快楽を見出す」という意味のようです。

これに関しては、まるめ様の「まろやか醗酵貯蔵庫」というblog様の「背反と共存」という記事で深く掘り下げられていて、非常に興味深いです。
というより私の記事なんかよりこっちを見た方がいい。
まろやか醗酵貯蔵庫 「背反と共存」


悪魔は欲望に忠実で自由な存在である。

人間はどっちつかずで迷うが、悪魔はそういった良心や葛藤すらも否定し、拒絶する。人生に意義を見出し何かを為そうとすることも拒絶し、快楽を求める。虚無主義・快楽主義ともいえる。その境地にはもはや人間の倫理観で煩わされることはない。それまで倦んでいた人間にとっては新境地ともいえるほどすがすがしく感じるだろう。これは悪魔落ちした藤堂にも見られるな。


人間は何かしらに縛られ葛藤する存在である。

一方どっちつかず状態の人間は、人生に意義を見出し何かを為そうとするが、理想の自分には中々辿り着けず、かつこうはなりたくないという自分を拒絶し、進むこともできずさらにどっち付かずのどんぞこ状態に陥る。あまつさえ何もできないしない、成し遂げられないという状況に陥りやすい。
人間が持つ二面性ゆえ、中道で心を病みやすいということっすね。


メフィストが、完全に悪魔化し炎も自由自在な悪魔としての燐、それとも人間としての心を保ち悩み葛藤を抱えたまま時間をかけて炎を制御していこうとする半悪魔・人間としての燐、どちらに利用価値があると考えているのかは謎。後者だと無為を欲するという人間の性質に従い、行き詰ったときに「俺はダメだ」と思い込んで自分の殻に閉じこもってしまう可能性もある。そもそも充足を得ることのできる人間など一握りであり、大半は無為を選びがちで、特に燐は周りから憎まれ疎まれる立場で壁も多いのだから、まさに茨の道です。
悪魔としての燐はまんまサタンのクローンであり自分の言うことに従ってくれる保障なんて全くないのですが、この人間ルートにしても、メフィストにとっては、非常に面倒極まりない。実際7巻収録予定の25~26話でそういう状況に陥いりました。けれども当面は、後者の方が自分の目の届くところに置けるのでメフィスト的には有利なんだろうな。悪魔ルートなら完成された力を持つだろうが、壁に当たり克服することによって成長し、今まで以上の力を発揮することこそ、悪魔では到底不可能な人間の可能性でもあるわけで。

それとメフィスト自らの野望のためにはサタンすらも利用する気っぽい。サタンには半悪魔のうちに炎をコントロールする術を仕込んだ方が完全に悪魔と化した時も有利であるだの、あるいは上げてから落とした方が燐が自らの意志で悪魔サイドに来るかもしれないとか色々吹聴して世話役ポストに付いたんじゃないかと思ってます。
(サタンは物質界で唯一サタンの炎に耐えうる器である燐を依り代として、自分が物質界を制圧することを望んでいるという前提に基づく。1話時点では虚無界に連れてって自分が直々に鍛えるつもりだったが、現在は自分が物質界に顕現する術もないのでメフィストの案を採用しているのではないかと。ぶっちゃけあんま頭良くなさs…ry)
もしメフィストがちみちみとしか進まない燐に見切りを付けて前者の方が自分に有利だと判断する時が来れば怖いような気もするが、今のところ燐の現状をどう評価しているのかよく分からない今の状況の方が不気味なようも気がしたり。


◆燐の欲求

人間ルートを選ぶにせよ悪魔ルートを選ぶにせよ、まずは自分は本当は何を望んでいるか、何をしたいか、をはっきりさせる必要がある。
「お前には知るべきことが山程ある ―まずは己の欲求を知るべきだ」

○○はしてもいい、××はしてはいけない、とか理性のブレーキがかかってしまう人間に対し、悪魔は己の欲望に忠実な存在ともいえそう。
メフィストなど物質界のサブカル文化にどっぷりつかっている上迷い悩む人間の姿をもっと間近で見るために今のポストに就いただろうし、アマイモンに至っては強いヤツと戦いたい、と思ってますもんね。

この台詞に関しては、以下のように解釈できそう。
「悪魔として倦むことなく力を奮いたい」か、
「人間として悪魔の力のみに頼らず生きたい」のか、燐はどちらを望んでいるのか。

この回、合宿の最初の方で、
燐は仲間に拒絶されるのを恐れるが故に、必死に力を押さえ込んでいた。中々炎を出せずにしえみの身が危なくなっても自分はギリギリまでなぶられるままだった。(人としての営みを優先するあまり何もできない)、
しかし勝呂たちが助けに駆けつけてきてくれたことにより、結局、悪魔であることを隠さずに戦うと決める(欲求に従う)。

というわけで当面の燐の欲求は、「やさしい事」=利他的なこと、という自らの人間としての正道を為すために、悪魔としての力をあえて奮って生きたい、というものであったと解釈できそうです。
要するに、行き詰りやすい人間ルートを望んでいると。
誰かを守るためだったらサタンの炎を出すことになっても厭わない、たとえそのせいで自分の身が危険になるとしても。
あくまでも利他的な目的のために力を奮いたい、と。

メフィストがどこまで燐の欲求を尊重してくれるのかは謎ですが。
そして当面燐のこういう重いはゆらがない筈ですが、これからもそれを保ち続けられるか、という心配もありますが。
もしかしたら自ら悪魔の道を望むようになる可能性もあるわけで・・・


雉人流にまとめるとこんな感じになるかと。
「まずは己の欲求を知るべきだ。
悪魔は人間の価値観や倫理といった、人間を縛るあらゆるものを否定するがゆえに迷いがなく自由で力強い。
一方人間は何かを為そうとしてもうまくいかず、虚無に襲われ結局何もしないことを求めがちな存在だ。悪魔のように自由でなければ聖人のように精神的な高みにもたどり着けず、相反する性質を抱えるどっち付かずの存在ゆえにそうなる。
悪魔として自由に力を奮うか、人間のまま悩み苦しみながらあがき続けるか、お前はどちらを望むか。
人間と悪魔の性質を併せ持ち、どちらに転んでも可能性を持つと共に並の人間以上に行き詰りやすい奥村燐をどちらの道に導けば最も利用価値を発揮させることができるだろうか。」



しかし、メフィストの悪魔か人か、というこの台詞は青の祓魔師のテーマにおいて重要な台詞であり、もうひとつの道を示唆していると思います。



青祓テーマ考察②~奥村燐の選ぶ第三の道~に続く。

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