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【諸星】諸星大二郎特選集 「男たちの風景」 

・2013/10/30:諸星大二郎特選集 「男たちの風景」発売

諸星大二郎特選集 男たちの風景 (ビッグコミックススペシャル)諸星大二郎特選集 男たちの風景 (ビッグコミックススペシャル)
(2013/10/30)
諸星 大二郎

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特選集、ということで(少なくとも)三か月連続刊行!
収録内容は以下の通りでした。
彼方へ/アダムの肋骨/男たちの風景/貞操号の遭難/商社の赤い花/感情のある風景/生物都市/食事の時間/失楽園/眠る男の夢を見る男は夢の中で生きているのか?

彼方へは4ページの短編、彼方への憧憬とこれまたグレートマザー的な女性という頻出モチーフ。眠る男~は小説+漫画。この短編集とは結構毛色が違いますね。
全体としては、自分の手持ちの単行本ではジャンプスーパーエースの失楽園と夢みる機械を足したかのような話に。勿論内容がかぶるわけですが好きな漫画家なのでいいや。
タイトルからして「男と女と生殖を描くSF」縛りかな、と思ってましたが+異星or未来地球のディストピアになりましたね。
そういうわけで、当初予想に含めていた「真夜中のプシケー」「肉色の誕生」「地獄の戦士」「袋の中」「ティラノサイルス号の生還」は入らず。プシケーと袋の中と肉色の誕生はSFではないけれど。そして男と女というより、女を描いているというべきかもだけど。

全体として、モロ☆作品の中でも特に面白い初期のSF短編揃いで非常に充実した内容になっている感あり。
表紙の女が中東っぽくてやっぱ美しいね。

一番の名作は戦慄のメジャーデビュー作の「生物都市」。 
扉からして、ヨーロッパの時祷書めいて機械と生物の融合を描きながらも黒々とした宇宙船が帰ってくるという扉絵からしてワクワクさせられるのに、あの話ですよ。一体どうやったら、当時の世界で人間含めあらゆる生物と無機物・機械が融合するという話を思いついちゃうんだ。

そういえば人間とネットワークの接続を描くサイバーパンクというSF形態が登場したのは80年代、一方生物都市は1974年。
でも作中で、生物と機械の融合を果たしたイオの住民から感染を受け帰還した宇宙船を皮切りに広がっていく描写は以下の通り。
金属類は勿論、コンクリートも伝っちゃう。
その上なんと、電話線や電線、水道管、ガス線…といった、人間社会を構成するあらゆる人工物のライフラインが全て伝染経路と化して、伝染してしまう。
当時はインターネットもなければネットワークもないしコンピュータも一般にはそこまで普及していない社会なのでレトロな香りがしますが、それでもあの当時でこの発想は凄い。筒井康隆を驚かせたというエピソードすらもある位だし。
かといって、後年出てくるサイバーパンクともやはり雰囲気というかニュアンスが違うんですよね。
ここではもはや老いによる体の痛みもない、機械や無機物を介して自分の体が無限に拡張され全人類の意識が一つに統合される。

「とんでもない!この新しい世界で科学文明は人類と完全に合体する。人類にはじめて争いも支配も労働もない世界が訪れるのが。」

モロ☆漫画は、バイオの黙示録もそうだけど、対になる存在としてでなく究極のディストピアにして究極のユートピアが両立することが多い気がします。

個人的に好きな短編は「貞操号の遭難」なんですが、種としての限界にきた人類に更なる可能性を求めて異星の高等生物との交配による品種改良を目的とした優性人種開発計画/レディ計画が出てきます。それについてケイが「種族的な純血なんて無意味だわ」と言っていて、案外これがモロ☆作品の傾向を端的に表してるんじゃないかなとか思ってます。

変容もまた生物の営みの一部、人間の理性では倫理的に問題があるとみなしたり生理的に忌避してしまったりしても、「別に混ざって変わってしまってもいいのではないか」というようなスタンスも感じてしまいます。

ちなみにこの「貞操号の遭難」、半植物・半人間の美男子関係のエロティズムもさることながら、リサの台詞がいちいち面白くて好きですなw
「(半植物の男の股間を見て)立派な男よ!地球人の男より立派よ!」
「きれい!夜咲サボテンみたいな修正なのかしら…」
→「(夜になり目を覚まし立ち上がる男とその一物を見て)夜咲きサボテンだわ、確かに…(ゴク・・・)」


それにしても、貞操号の女子たちが来る前にはネズミっぽい生物を媒体と称して獣姦してタネつけだの、そのタネを受精させるのにレズプレイ(または触手プレイ)とか、あんま想像したくないですね。

「感情のある風景」は、感情をその人自身の思考から切り離してその人の傍を浮遊し形を変える幾何学的図形として表現するというのがいいです。
収容所で大きな恐怖と悲しみを味わった主人公は、とある星に逃れる。
その星では感情が体の外にあるという。勿論、異邦人である主人公は異端であり、住民にも受け入れられるようにするため、そして主人公の恐怖と悲しみの感情が大きいためにおっさんによって住民と同じように感情を切り離す感情を切り離すことで心は平穏を手に入れると共に、平坦で無感情となった。そしてそれと共に、母の死の悲しみや小さな喜びといった、主人公にとっては小さく悲しくても手放したくないものも自らから切り離されてしまって…
これが非常に秀逸です。

「商社の赤い花」は異星が舞台であるものの、サラリーマンものとこの短編集の中では割と異色。現在の景色の中に回想やイメージを混ぜる、という表現って中々難しいからあまり使う人がいないイメージなんですけど、モロ☆先生はよく使うというか、特にこの短編では多用している気がします。

「失楽園」は、地球上の文明が衰退し大きな都市が消えてゆき、人々の生活レベルすらも原始的に衰退してしまった世界の物語。主人公はスティージェの沼で生活する人類の末裔の一人。
世界の中心に幸福の沼があり、それを囲むように荒地が、そして塩の沼があるという世界観であり、人々は幸福の沼から追放されたという。幸福の沼から来たという男の話、そして少女ララの死をきっかけに主人公が旅立つのである。
そのレーテの町ですら、楽園でなく楽園のなれの果て・おちぶれてしまった形だけの楽園だという。
ララと面影が似た、町の掟をたびたび破る少女リーチャの台詞が印象深い。


「だれも追放なぞされなかったわ!」

罪?罰?そんなものは人間が勝手に作りあげた言葉だわ!」
「要はただそうなったっていうだけなのに…理由なんてないのよ!それはただ失われてしまったのよ!」
 
「人間は楽園を求めはじめた時からそれを失っていたんだ!
いつでも…どこでも…人間は同じなんだ…それだけなんだ…」


ここにきてタイトルの「失楽園」の意味が見えてくる。
アダムとイヴが食べてはいけない知恵の実を勝手に食べてしまったという罪、
そして文明がさかえた事で戦争を起こし環境を破壊する程に人間が驕ったという罪。

しかしそれを罪と見なすことですら人間の感覚にすぎない。
繁栄あれば衰退は必然。
どうあがいても苦しみ続けることが人間の必然であり、そんな自分たちに言い聞かせるように「罪」という概念があるー。のかもしれない。

モロ☆先生の作品にはこのような、「見放された」孤独な人間、を描くものも結構多い気がする。
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